作者: 江坂純(原作),凸ノ高秀(漫画)
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施設育ちの少女・くるみは10歳になる誕生日の前夜眠りにつく。 次の日の朝、目が覚めると24歳になっており…? 記憶を巡る近未来ミステリー堂々開幕!!

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くるみの悪口オチが見られなくなるの残念
この漫画家さんき、次回はギャグで連載して欲しい
本編より、番外編のが面白いwww
アニメ1クール分プロット部門受賞作であることを考えれば
終盤が苦渋の打ち切り展開だったはずもないのですが、
緻密に積み上げてきた物語が最後のレジスの二者択一で
ほとんど吹き飛んでしまったような印象になってしまったのが
少し惜しかったかな

作画担当の凸ノ高秀先生のツイートを見ると
B3GfJpYFさんの解釈で合っていたみたいですね
(原作者の江坂純先生の意図は気になりますけど)
くっきりとしたshe is beautifulが段々と雪に覆われて薄れていくのは
くるみの気持ちがいずれ風化していく事の暗示だろうか
まぁ暫くは幸せな二人でいられるだろう
連載お疲れ様でした。
寝たら記憶がなくなるからずっと寝てなくないこの子??どうするだろって思ってた最初の頃が1番面白かった。
退廃百合も割りと定番したルートの一つじゃけえ
清香:色々あるけど恋人と結ばれてハッピー
くるみ:清香を恋人として思ってるわけではなく、ただ共犯者として依存
っていうメリバエンドにしか見えない…
面白かったし、エンディングにも違和感ない。
とはいえ確かに、
実験動物と人権問題に主眼を置くとそこまで深く掘られては無くて微妙。
どっちかっていうと複数困難(記憶を失う・実験動物・脳内に爆弾やナノマシン・レズ)での恋愛をメインにした世界系なんだろうなって
後者を念頭に置いてれば最終話のキャッキャウフフは、見たかったエンディングとして納得できるのでは?
結局、しらない2人には死んでもらった
くるみは罪を背負って愛に生きる覚悟を決めた
元来聡明な清香だが、毎朝記憶を失いログも読めない状況では
愛するくるみが目の前にいる生活から変化を望めるわけもない
(それはかつて清香がくるみに対してしようとした事)
しかしそんな日々はいつまでも続かないことを
雪に包まれる森が暗示する‥

深い考察なんてできないから、直接的な描写だけで読むと
こういうことなんだよね
次は別の原作者と組むか凸ノ単独で描いてほしい
絵が好きなだけに歯がゆい

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最新コメント 一覧

仕置熊vsクマ撃ちの女 くらげバンチの熊漫画同士で勝手に戦え!
(返信) いやクマな作者かもしれない 他にも熊漫画描いてるっぽいし
いい最終回だった。まあクマに殺された被害者の遺族が見つけたらふざけんなってスグ打ち切りだろうクズは作者
何年か前にやってた上級国民スレイヤーって漫画思いだした
不謹慎とかフィクションとか以前に時事ネタとスカッと系合わせただけで味がしない これが例えば鶏でも変わらんというか…熊である旨味が少ないというか…今の被害がなかったら読者もっと少なそうな感じ
クマネタとして不謹慎とは思わないけど、純粋に漫画として読んでだからなんだ?って感想だったな 悪いやつが殺されてスカッとした、みたいな効果を与えるにはチープ過ぎるし虚無い
なんちゅうコラボしたったんや
お仕事マンガコラボ…お仕事…お仕事かなぁ…??
アカネお前役に立てるのか!?
学校のロッカーあれ入ってるの次の日から学校中に知られてそう
(返信) 俺も男だと確信してた・・・
もしかして角が生えてる奴って女?
2週間に1回なんだからルナ姉中心の話しにしてくれ・・・。ぽっと出のこの子の話しいらないって・・・。
(返信) 漫画なら好きだぞ リアルで考えるとフェ〇どころかキスでも怖いが
続きが気になってなろうの方一気読みしたわ、良きだった ぜひ最後までやってほしい
乗り換えたらまた同じ事を〜理論はよくあるけど、 目的を失ってあてつけ?のように動く仮初の存在に対してそれを言うのは場面が違うというか意味が無いのでは